英語で味わう古今和歌集 仮名序-10 紀貫之
Enjoying Kokin Waka Shu in English: Preface-10 Ki no Tsurayuki
古よりかく伝はるうちにも、ならの御時(オホントキ)よりぞひろまりにける。かの御代(オホンヨ)や歌の心をしろしめしたりけむ。かの時に、正三位(オホキミツノクライ)柿本人麿なむ歌の聖(ヒジリ)なりける。これは、君も人も身を合はせたりといふなるべし。秋の夕(ユフベ)、龍田川に流るる紅葉(モミヂ)をば帝の御目(オホンメ)に錦(ニシキ)と見たまひ、春の朝(アシタ)、吉野の山の桜は人麿が心には雲かとのみなむ覚えける。また、山部赤人(ヤマベノアカヒト)といふ人ありけり。歌にあやしく妙(タヘ)なりけり。人麿は赤人が上(カミ)に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。
Thus, poetry has been handed down for generations from the ancient past and spread in Nara Period, in particular. The emperors at the time were certainly well versed in the heart of poetry. Then, appeared the great poet, Kakinomoto no Hitomaro, Senior Third Rank. In those days, the emperors and his vassals were united in mind. In the autumn evening, the emperor saw the red leaves flowing in the Tatsuta River as brocade, and in the spring morning, Hitomaro saw the cherry blossoms at Yoshino Mountain reflected in his mind only as clouds. Also, there was a man called Yamabe no Akahito. He was extremely good at poetry. It was difficult even for Hitomaro to be superior to Akahito and for Akahito to be inferior to Hitomaro.
(現代語訳)
このように歌は古くから伝わったのですが、特に普及したのは奈良時代からです。その時の帝は歌の心をよく知っておられたのでしょう。その時に、現れたのが、正三位柿本人麿という歌聖です。このような時が、帝も臣も一体であったというべきでしょう。秋の夕べに、龍田川に流れる紅葉を帝の目は錦としてご覧になり、春の朝に、吉野の山の桜は、人麿の心には雲とばかりに思われたのです。また、山部赤人という人がおりました。歌にはなはだ優れておりました。人麿は赤人の上に立つことはむずかしく、赤人は人麿の下にたつことがむずしかったのです。
By Kota Nakako
2024/11/08