英語で味わう古今和歌集 仮名序-11 紀貫之
Enjoying Kokin Waka Shu in English: Preface-11 Ki no Tsurayuki
片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよりさきの歌を集めてなむ、『万葉集(マンエフシフ)』と名づけられたりける。
ここに、古のとこをも、歌の心をも知れる人、わづかに一人二人なりき。しかあれど、これかれ得たる所、得ぬ所、互(タガヒ)になむある。かの御時よりこのかた、年は百年(モモトセ)余り、世は十(ト)つぎになむなりにける。古のことをも、歌をも知れる人、よむ人多からず。いまこのことをいふに、官位(ツカサクライ)高き人をばたやすきやうなれば入れず。
Nice poets have come out since then incessantly. The collection of poems before that was named “Manyo Shu,” or the collection of ten-thousand leaves.
After that, there were few poets who knew truly the heart of poems. Each had his or her own advantages and disadvantages. About a hundred years or ten generations have passed since then. There are not many who know the olden times and the heart of poems and are able to compose poems. Below, I would like to refer to them, yet refraining from mentioning those of high-ranking persons, as it can be thoughtless.
(現代語訳)
(すぐれた歌人も)その時その時に絶えることなく(世に)出ていました。それより以前の歌を集めたものが、「万葉集」と名づけられたのです。
以来、昔の和歌の心を知った人は、わずか一人二人でありました。そうではありますが、それぞれ長所、短所がありました。その御時以来、百年余り、世は十代になりました。昔のこと、歌を知る人、詠む人は多くはありませんでした。今、それを述べますが、官位の高い人については、軽々しくなってしまうのでこここには含めておりません。
By Kota Nakako
2024/11/08