ケインズの投資について-2 Keynes’ Investments-2

動と静 - 本質的価値に着目して動かず

ケインズの投資は、基本的には、借入金も駆使した極めてアクティブなものだ。但し、1930年10月から、1931年9月までの約1年間は、ケインズ自身、株式の売買をほとんど行っていない。この辺の事情は、ケインズのナショナル・ミューチュアル役員会への覚書で知ることができる。

ここで、「当面、静観するのが、最善の方策である」とし、保有銘柄を厳選した上で、本質的価値に照らして割安な保有株式を、売却すべきでない、という意見を表明している。ケインズの投資は、本質的には、「本質的価値」に着目したバリュー投資であり、トレンド分析に基づくテキニカルなトレードではないことを示している。

ナショナル・ミューチュアル役員会の覚書 1931年2月18日

全般的な見方についての覚書。マークス氏の依頼に基づき役員会のために作成。

    • (1) 現在、恐怖心理が蔓延しています。価格は、本質的価値、または、本質的価値についての適正な予想に対して、ほとんど関係を持っていません。価格は限りない不安心理によって形成され、買い手不在、切迫した売りが市場を支配しています。ブーム(熱狂した市場)で、多くの人が、単年度の収益に基づいて株価を評価し、その増益が幾何級数的に続く想定して買いに走るように、現在は、今日の収益が幾何級数的に減少しつづけることを想定して株価が形成されています。
    • (2) 歴史的な暴落の中で、それを根拠のない恐怖や不安、とするのは馬鹿げているでしょう。いつも言っているように、1931年の見通しは極めて悪いと考えています。全くのところ、恐怖を感じるのもいたしかたなく、不安のもっともらしい理由を見つけることはあまりにも容易です。
    • (3) しかし、このことから、責任ある投資団体が、毎週、恐怖心にかられて保有証券リストを眺め、また一つ、またもう一つと、不安心理の犠牲となっている銘柄を見つけるべきではありません。また、恐怖にかられて逃げ出そうとすべきでもありません。もし、保険会社や投資信託が一般的に、このような方針をとれば、ある意味では、早目に出て、最初に戻れば(下落する前に売り、反転する前に買う)、利益を出せる、という意味で、自己を正当化できるかもしれません。しかし、その反動は私たちいずれにとっても有利なものでは無いでしょう。ここは、落ち着いて堅く構えるのが賢明と言えます。
    • (4) さらに、状況はいつでも、そして突然に、反転する可能性があります。私たちの基本的なポジションは、引き続き極めて強固であるといえます。関税の導入、政権の交代など、全てのことが、事前にはかなり予測不能です。突然、人々の行動が反転し、ほぼ全ての銘柄がいかに安いかを知り、市場が全く売られ過ぎであることを発見することになるでしょう。
    • (5) 従って、これ以上、極めて特別の理由がある場合を除き、証券を売却すべきではありません。私はこのことに自信を感じています。何故なら、私たちは直近の保有証券リストを、ほとんど完全に見直したからです。価格のさらなる下落は、売却、また、その逆(買い)の理由にはなりません。私たちの保有リストは全般的に極めて良く選択されています。
    • (6) しかしながら、これは、本格的なリカバリーの時にも、変更するな、多くの良き事柄を検討するな、といっているわけではありません。もし、市場が突然、著しく反転するなら(それは政治的な理由や、または、ウォール・ストリートのいつもの春のブームがある期間生ずることであったりするかもしれません)、現在よりも決定的に高い価格で買い手が現れることになれば、その時には、保有リストを見直したいと思います。しかし、当面、静観するのが、最善の方策であると考えます。

1931年2月18日
J.M.K.

恐慌後もアウトパフォーム - 純資産を増やす

ニューヨーク株式市場は、1929年10月24日(暗黒の木曜日)に大暴落、世界恐慌に突入した。NYダウは、29年Δ17.17%、30年Δ33.77%、31年Δ52.67%、32年Δ23.07%と下落と続けた。回復するのは、ようやく33年+66.69%だ。しかも、1929年の水準を回復するのは、1954年になってからだ。いわば失われた24年だったといってよい。無論、この間、第二次世界大戦(1939.9.1-1945.8.15)がある。

ケインズは自らの投資活動において、1928年末£13,060の(金融)純資産を、31年末に£15,100、34年末に£146,007とにまで回復させている。£132,947の増加だ。しかも、借入金は、28年末£25,790から、34年末には£165,343と大幅に増やしてのことだ。この間の、アカデミックな活動からの所得は、£13,774で、仮に純資産の増加からアカデミックな活動からの所得を引いても、£119,173を投資活動からたたきでしていることになる。当然、生活費等があるわけだから、投資活動の稼ぎはこれよりも大きいことになる。

ケインズの英国株のキャピタル・ゲイン(ロス)は、29年£3,440、30年Δ£973、31年£1,583、32年Δ£4,044、33年£33、34年£20,559と取り戻し、29-34年の純キャピタルゲインは£28,686に及ぶ。いわば市場が、24年かかっているのを、純資産レベルでわずか3年(アカデミックな活動からの所得を除く)、純キャピタル・ゲイン(ロス)ベースでみて6年間で回復させており、ケインズの運用手腕が、市場平均をはるかに上回っていることを示している。パッシブな戦略では、とてもこのパフォーマンスは出せないわけだ。

 

(覚書原文)
Memorandum of the Board of the National Mutual, 18 February 1931

In response to a request to me from Mr Marks to write for the Board a short memorandum of my general views, I offer the following:

    • (1) There is a great deal of fear psychology about just now. Prices bear little relationship to ultimate values or even to reasonable forecasts of ultimate values. They are determined by indefinite anxieties, chance market conditions and whether some urgent selling comes on a market bare of buyers. Just as many people were quite willing in the boom, not only to value shares on the basis of a single year’s earnings, but to assume that increases in earnings would continue geometrically, so now they are ready to estimate capital values on today’s earnings and to assume that decreases will continue geometrically.
    • (2) In the midst of one of the greatest slumps in history, it would be absurd to say that fears and anxieties are baseless. As I have constantly said, I consider the prospects of 1931 to be extremely bad. It is indeed only too easy to feel frightened, and to find plausible reasons for one’s fears.
    • (3) But I do not draw from this the conclusion that a responsible investing body should every week cast panic glances over its list of securities to find one more victim to fling to the bears. Both interest and duty point the other way. I do not consider it impossible that there may be in the ensuing weeks something which might be called a flight or semi-flight from sterling, or a flight from British Government securities. But I do not think it will last, even if it occurs. Nor do I think that we are called on to lead the way towards flight. If insurance companies and investment trusts generally were to adopt this policy, it would necessarily in a sense justify itself – in the sense that those who both got out first and got back first would make money. But the repercussions would not be advantageous to any of us. It is much better and wiser to stand reasonably firm.
    • (4) Moreover, the situation is quite capable of turning round at any time with extreme suddenness. Our fundamental position remains extraordinarily strong. The introduction of a tariff, a change of Government, and all sorts of things quite unpredictable in advance will suddenly cause people to turn right round, to appreciate how very cheap almost everything is, and to discover that the market is completely sold out.
    • (5) I believe, therefore, that we should do well to make no more sales of securities except for very special reasons. I feel this with much more confidence because we have so thoroughly overhauled our list of late. Subsequent falls in price are an increased reason for not selling, and not the opposite. Our list is well chosen on the whole.
    • (6) This does not mean that I should not reconsider a good many things in the event of a substantial recovery. If the market were to turn round violently for political reasons, or if Wall Street were to carry to any length one of its usual spring booms, so that there were buyers about at decidedly higher prices than at present, then I should like to go through our list again. But meanwhile ‘Be Quiet’ is our best motto.

18 February 1931
J.M.K.

(注)太字 KN

By Kota Nakako
2024/12/08

 

 

 

にほんブログ村 本ブログ 詩集・歌集・句集へ   にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ   にほんブログ村 本ブログへ