アイロニーの研究 (2)

アイロニーの一般概念 ヘーゲルによる

ヘーゲルの定義は以下の通りである。

 

『絶対的抽象性における、純粋自我が絶対の原理である。この自我はまったく単純なものであり、純粋形式的な自我であり、ここにおいてはすべてのの相違や、すべての規定が完全に否定され止揚されている。

自我において、この自我の自由性において、他の一切は消滅し、抽象的な自由において、一切は消滅する。自我は一切を自我において否定し、滅却することができる。自我が一切を否定しうるのと同様に、自我にとって価値のあるものも自我によって否定されうる。

人倫や道徳や神に関するとこは自我の所産であり、自我によって規定されたものである。それは、その限りにおいて自我にとって単に仮象であり、単に自我がつくいるところのものである。自我における一切は自我によって規定され、自我から措定されたものとみられる。

このような、自我の原理はまさに一個の抽象的契機であり(中略)自我がこの点から出発するならば、即且対自的に存在するものは何もない。

一切は自我の所産であり、自我がそれを措定されたものたらしめようとするかぎりにおいてのみ価値があるのであり、自我はそれを止揚することもできる。

道徳や真理や人倫や神に関することは、すべて単に仮象であって存在ではなく、自我のつくりだしたものにすぎない。』

純粋自我と絶対的否定性としての自由

これは極めて、簡潔明快な説明であり、恐らくはアイロニーのより一般的概念規定としては、つけ加えることはないと思える。アイロニーとは、まず第一に絶対自我が絶対の原理であり、第二に、絶対的否定性としての自由、ということであろう。

このアイロニーの立場は抽象的ではあるが、絶対的な自由性をもつのである。そして、自由な観念的な規定では、アイロニーは恐らく最高の位置にある、ということができる。

なぜならば、「抽象的な自由において、一切の事象は消滅する」のであり、道徳や人倫や真理や神に関することでさえ「単に仮象であって存在ではなく、自我のつくりだいしたものすぎない」からである。

中湖 康太

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